自分との二人三脚

リラックス大事

リラックスすることができませんでした

脱力することの大切さ

 

突然ですがあなたは、力を抜いて生きれていますか?

わたしは、脱力することが苦手で肩の力ぐっと入れたまま今まで生きてきました。

 

横車を押すように生きてきたと思います。

そして、自滅しては傷をつくりもう人生をやめたいと思っていました。

 

頭の中では、このままだといけない、とか自分は価値がない、とか。。

とても苦しい考え方をしてきて

 

母子家庭だし、お金ないし、学校では浮いてるし授業も全然ついていけない。

人も怖くて、目を見て話せなくて だいぶ支障のある生き方をしてきました。

 

学生の時は、学校しか世界はないと思っていたし、正解は一つで理解できない私はダメな子だ。

と思っていました。

 

ですが、大人になって思ったことは正解は他人それぞれあるということ。

この社会は、誰かが都合のいいように作ったシステムだということ。

五感で感じきることが人生が豊かになる大前提だということ。

 

そして、私は自立した大人というものを、佐々木師匠を通じて見える世界から私なりに考えました。

 

依存から、自立へ。

人の陰に隠れるのではなく、チームとして一緒に創る一員となるには。

を今、経験を通して学んでいます。

 

過去の傷でできなくなってしまっただけで、本来の自我ではなんなくできるだろう。

そんな気がしていて、実際そうだと感じています。

 

足りないからと付け加えるのではなく、本来の自然な存在に戻るだけ。

様々な人が色々なことを話しておりますが、大事なことはあなたの心の震え(振動)を感じ取り元の道に戻ることだと思います。

 

次は、ちょっと振り返りで佐々木師匠と出会ったときの私を少し振り返ってみようと思います。

 

時間という概念と存在

 

すずめの戸締りが昨年大ヒットしていました。遅いですが、とても大切なことなので書き記しておこうと思います。

 

新海誠監督の残しておきたかった地震への畏怖、自然に活かされてきた私たちだということ。地震を引き起こす見えないものがみみず、という名前で出てきていました。

 

映画で向こう戸の世界では、過去と未来と今が同時に存在していることが描かれていました。

主人公のすずめが大事にしていた亡き母からプレゼントされた手作りの椅子がカギとなってストーリが進んでいきます。

 

閉じ師の青年そうた,が、椅子に変えられてしまい、段々と意識がなくなり冷たくなっていく。

そして、すずめは向こう戸の世界にそうたを迎えに行きます。

色々と深いですが、私は最後のシーンが好きです。

 

そうたを迎えに行き

過去、向こう戸へ迷い込んだすずめに、高校生になった今のすずめが椅子を渡したシーンが印象的でした。

最初に迷い込んだ時に椅子を渡してくれたのが知らないお姉さんだと思っていた記憶は、実は高校生の自分だった。

未来の自分だからこそ、椅子の大事さもわかるし、今渡さないといけないと理解した。

 

「今ここ」が過去と未来に影響している。

というメッセージだと思います。

向こう戸はいわば普段は目に見えない潜在的な世界。

 

潜在意識に時間は関係ないのだと思います。

今ここにしか存在できない私たち。

肉体がある限り、今を体感することでしか知覚できません。

 

さて、忙しい社会に生きる私たちですが、五感を通して今ここを刻んでいっています。

過去に背負ってきた傷、忘れてしまいたいつらい過去や大事な思い出や宝物も、「今ここ」であなたが持っているものです。

 

今のあなたの感情や、状態は一秒前までのあなたがつくりだしたもの

未来のあなたの感情や、状態は今ここのあなたがつくりだすもの

 

なら、あなたはどうしますか?

あなたのやりたいように、あなたが創りだしたらいい。

 

「今」のあなたが、過去のあなたにどう接したいのか

未来のあなたは、「今」のあなたを見てどう思うのか

 

そんな基準で人生を生きてみるのも面白そうだと思いました。

 

すずめの戸締りお勧めです!

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他者に認めてもらいたい気持ちの裏側

最近、はまっていることがあります。

 

それは、自分のことをとにかく認めるということ。

自分で自分をご機嫌にするということは、不機嫌な自分すら無条件に愛しいなと思えるかどうか。

 

外の環境がどれだけ劣悪でもご機嫌な人は一年後環境が全く変わっているし、

どれだけ恵まれた環境にいてもいつも不機嫌だったなら、それは劣悪な環境と言えるのではないかなと思います。

 

自分で自分に×をつけてはそんな自分が嫌いだから、と外に求めます。

他人からほめてほしい。しかも、厄介なところで私がほめてほしいところしか受け取りません。

 

背中がかゆいとして、背中を、他人に掻いてもらうときとよく似てるかなと思います。

とかく、自分のことを察してほしい。。と思っているのが人間です。

 

かゆいところを察知できる人は稀です。

そして、察知出来てしまうがゆえに依存されます

 

果たして、それは良好な関係を築けているといえるでしょうか?

 

一人一人が自立して、お互いに痒いところを掻き合うのが理想なのではないかなと思います。

 

認めることに話を戻すと、とにかく自分がどんな自分でも味方でいるだけで他人からの承認はあまり気にしなくなります。

 

私の場合、コミュニケーションの在り方にもろに出ておりました。

私、承認欲求をゆがんだ形で他人からもらおうとしている。。と気づいたからこそ認める。ということにチャレンジしています。

 

私の師匠、佐々木浩一の動画でずばり解説してくださっているので良ければご覧ください。

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はじめまして!見てくださりありがとうございます。

 

突然ですが、あなたは自分のことを丁寧に大事にできていますか?

 

私はできていませんでした。

学校、仕事から帰ってきて、精神的にひどく疲れてはお風呂に入ることすらできなくてただ疲労とともに寝る。

そして、次の日嫌な気持ちを抱えて、自分に鞭を打ち行きたくないと思いながら仕事に行く。

 

当然、仕事のモチベーションが上がらないため週の半ばは死んでました。

自分が自分のことを大事にできないのは仕事が忙しいせいだと考えてました。

 

それこそ、自分の人生に軸がなく、他人のせいにして人生に責任がもてない。。

 

いわゆる負け組の人生です。

人生=楽しくないものと思ってました。

ですがこのままじゃいやだ!と心底想い、師に出会ってから

楽しくない、つまらない。が180°回転したのです。

 

そんな私が、今や

私は全国的な消費者団体の地域のチームを立ち上げ地域の代表をさせていただき、

教育のことについてもNPO法人にて企画、運営をしています。

仕事は転々とし、現在は庭をつくる仕事をしています。

 

負け組だった人生を語れば、永遠とうんこのごとく出てきますが

それは楽しくないので。今ここの状態からの現実を楽しくする術を書いていこうと思います。

 

よろしくお願いします!